要約:カメを飼うことは私の人生にとって必要なことだった
本文:
私の人生のうち25年間は、カメと共に過ごしてきた。
私は1996年からカメを飼い始めている。私がまだ13歳、中1の頃の話だ。
デパートで買ってきた、ミドリガメと呼ばれる、大きさわずか500円玉サイズのかわいらしいカメだった・・・。当時は。
正式名称はミシシッピアカミミガメ。
北アメリカ原産で、最大甲長28cm。
平均寿命は、20年から40年である。
・・・
このことがどんなことを意味するのか、当時の山本少年にはわかるはずもなく、また亀を我が子に買い与えた親にとっても、デパートで小さなカメを買ってあげて息子が喜んだ、そういった程度の、本当に些細な出来事だったに違いない。
この25年間、実に色々な出来事があった。
庭の池で飼っていた時、大雨で池の水が溢れてカメが逃げ出したことがあった。
2匹飼っていたうちの1匹はどこかへ逃げおおせ、残るコイツは逃亡に失敗して私に捕獲され、今日に至るのだ。
カメの世話をせねばならないがために、私は常に長期間の旅行というものに出掛けることができなかった。
私が単身で長期旅行に出かける時は、親に頼んでエサやりを代行してもらうなどしていたのだ。
カメという動物は犬や猫と違って野生のままだから、いつまで経っても慣れるということがない。
未だに、隙あらば逃げ出そうとするし、手を近づけると噛みついてくる。気性が荒いのだ。
こいつは一体、いつまで生き続けるのだ。いっそのことさっさと死んでくれた方が自由になるのに、などと考えることもあるが、思い直す。
そうだ、私が選び取ってこいつと生きると決めたのだ。責任は取らねばならん。本当にこいつが寿命を迎えるその時まで、責任を持って飼い続けるのが運命なのだと諦めている。
しかし、まだしもカメだから良かったのだ、と考えてみる。
これが人間だと束縛の度合いが異次元に違う。これが、私が結婚に踏み切らなかった大きな要因の一つである。まあそれも、私の偏った見方による思い込みでしかなかったのかも知れないが。
少なくとも言えることは、私のような責任感の強い人間は、所帯を持った場合、今のように安定した会社員を辞めて独立起業するなどといった大英断は下せなかったに違いないということである。
とすれば、起業してそちらの事業が軌道に乗ってきたら、もうその事業と心中する勢いだから、もしかするとワンチャンあるかも??
要するに、もし結婚するならサラリーマンとしての私ではなく、事業家としての私を受け入れてくれる人でなければならないから、サラリーマン時代は結婚に縁がなかっただけなのかも知れないのだ。
40代で結婚も、ワンチャンあるぞ。
ま、結婚なんて唯一の価値じゃないからな。
選択肢の一つ、くらいに思っておけばいいさ。
独身には独身なりの楽しみもあるものだ。
カメを飼うことは、私には必要な体験だった。
目の前の現実から何を読み取ってどう行動するか?
常に問い続けることだ。
超長期の旅行?カメでも連れて車で行けばいいよ。公園で水替えするとか。方法はいくらでもある。
何だか相棒と一緒に旅行なんて、楽しいじゃないか。
せいぜい、カメがゆでだこにならないように、真夏を避けて遠出することだな。
初稿220206
投稿220317
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