ごく少数の、気の合う人としか関わらない、つつましい生活。
あくせくしない、ゆったりとした時の流れに身を任せる。
これが私が求めていた生活なのかも知れない。
ふと、そんなことを思った。
私が本当に求めていたものは、すでにここにあるのだ。
私は今まで、いわゆる社会的な成功を求めてきた。
あるいは、社会的に認められる地位を保つことのみに注力してきた。
その結果、確かに社会的な信用なるものや、一定の地位と言えるものは手に入れることができた。
しかし、それが何だというのか。
私は、今まで私が手にしてきた地位や給料を手放した。
こんなのは絶対に私の望んだ生き方ではない、とはねつけたのだ。
結果、毎日が日曜日とも言える生活を送っている。
これが、私の求めていたものだったのか。
何物にも縛られない生活。
誰も私にくどくど文句を言ってくる者のいない生活。
決して、裕福と言えるようなものではない。
途方もなく資産があって、大金を稼いでいるわけでもない。
誰もが憧れる夢のような生活なのか?と言えば、おそらくそんなことはない。
だが、別にそこは他人と比較するものではないのだ。
どんな金持ちの生活だって、どんな大豪邸だって、俺はそんなのいらん、と言われたらその人にとっては無価値なものに過ぎない。
他人の評価など、本質的には何の関係もない。
私が心地よさを感じていれば、それでいいではないか。
他人と比較して、どうするのだ?
ごく少数の、気の合う人としか関わらない、つつましい生活。
あくせくしない、ゆったりとした時の流れに身を任せる。
高望みしなければ、そんな生活にさほどの金はいらない。
だから、必要な金を稼ぐ労力も最小限でいい。
むしろ、変に高級なものを食わないので健康にすらなる。
自炊なんて、最高じゃないか。
散歩は最高の道楽にして金もかからない、いい趣味だ。
音楽も、初期投資さえしてしまえばあとはマイペースで続けられるし、どこまでも奥深い。
まあ、そう言っていられるのも今のうちなのだろう。
いざ自分の事業を展開し始めると、それこそ毎日がまた忙しくなる。
だが、それもすべて自分がやりたいからやることなのだ。
全てが順風満帆に行くとは限らない。
多少の困難もあるだろう。
収入が少ない、というか当面は無収入だって想定しておくべきだ。
それならそれなりに、何とかやっていける気がしている。
何のことはない。人間はそのうち死ぬのだ。
いつ死ぬかは知らないが、いずれ死ぬ。
100歳で死ぬとしても、あと60年ほどのことだ。
60年や100年なんて、この宇宙の星々の寿命からすれば一瞬だよ。
我々は、その一瞬を極限まで引き伸ばして、ユメを見ているのだ。
死ぬまでの間の、束の間の暇潰しだよ。
何をそんなにあくせく生きる必要があるんだろう。
大いなるチカラが、この地球という環境を整えてくださったのだ。
この上は、何も逆らうことなどあるまい。
人間はあまりにも無知で、あまりにも高慢。およそ道理というものを知らない。
無力な存在なのだ。
自然のままに生きて、自然のままに死ぬ。
私は自然の一部だ。
日に照らされるまま、風に吹かれるまま。
私は自然の一部でありたい。
初稿220506
投稿220510
今日のひとこと
◆◆◆フッター(定型文)◆◆◆
出来事は全て完璧なタイミングで、完璧な形で起きる。人生にとって必ず何かの意味がある。
私は、楽しいことしかしない。楽しいことにみんなを巻き込み、みんなと一緒に人生を楽しむ。
私は全ての人を潜在的顧客として丁重に扱う。いつの日か、私のブルーベリー農園に訪れてくれる大切な顧客になるかも知れないのだから。
◆山本星海SNS
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