要約:表に出てくるのはきらびやかな側面のみ。誰しも必ず影の部分があると知れば嫉妬もしない。
本文:
毎日毎日、SNS上に舞い込んでくる数々の写真や動画。
中には羽振りのいい、豪勢な暮らしや、幸せそうな家族の写真などをあげている人を見かけて、こんな生活羨ましいなあ、と思ったことのある人も多いのではないか。
そんな幸福に満ちたような生活を送っているかのように思われる人々は、実際どんな気持ちでそれらの写真や動画を、生活の中から切り取って見せてくれているのだろう?
「よっしゃ!今日も渾身のインスタネタ写真が撮れたで!!
でもって、この中から最高のやつを今日の投稿にするのや。」
あなたもSNS投稿をしたことがあるなら、こんな心境もわかるのではないか。
というように、SNSというある意味自慢大会の場にアップする写真、動画なるものは、須く投稿者の虚栄心を満たす、日常の最高の部分を瞬間的に切り取ったものに過ぎない。
いや、たとえそれが一般的に失敗談と認知されるようなことであったとしても、それ自体が何らかの話題性を持ってさえいればいいのだ。
早い話が、注目されさえすればいいのである。
すなわち、投稿者の生活の中で、これは切り取るに値しないと判断される事象は、一切切り取られることはないのだ。
それは当然だろう。投稿者のすべての日常を、ノーカットで投稿するなど不可能であるし、仮に24時間、365日、便所で放尿している時も入浴している時も、無言でいるときも、果ては睡眠中の様子をも映像化して投稿したとして、そんなヒマな動画を誰が見るというのか。
つまり、どれほど煌びやかに見える生活を送っている人も、当然ながら人に見せるほどでもない日常の方が大半なのである。
汚いことも、つまらないことも、恥じ入るばかりのことも、全てを併せ持っているのが人間である。
とすれば、SNSでいかに豪華に飾り立てて取り繕っている人があったとしても、心中【なるほどこの投稿はこの人の日常の最も輝かしく成功した一部分だけを捉えただけのものであって、その影に知られざる様々な葛藤や苦悩があるのだなあ】と見透かすことができるようになると、もはや嫉妬のなどという感情は起きなくなるのである。
初稿220805
投稿220807
今日のひとこと
◆◆◆フッター(定型文)◆◆◆
出来事は全て完璧なタイミングで、完璧な形で起きる。人生にとって必ず何かの意味がある。
私は、楽しいことしかしない。楽しいことにみんなを巻き込み、みんなと一緒に人生を楽しむ。
私は全ての人を潜在的顧客として丁重に扱う。いつの日か、私のブルーベリー農園に訪れてくれる大切な顧客になるかも知れないのだから。
◆山本星海SNS
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