人生を終えた後については、迷いはないのであるが、生きている今、人生における不確定要素は確かにある。
この、弥陀に救い摂られた私は、死後は弥陀の浄土に参ることが決定しているのであるから、何の迷いもない。
死後どうなるかさえハッキリすれば、この人間の肉塊を引きずり続ける人生など本当のところはどうでもよいのだ。120歳まで生きようが、1秒後に死のうが、そこに大した違いはない。
とはいえ、である。
いつ死ぬか、なんて誰にも分かりはしない。
となると、現実問題として、この人生をどう生きていくかが突きつけられているのである。
死ぬまでの間、この人生が今後どうなるかというのは、甚だ不確定要素が多過ぎて、それ故にどうなるかわからんといった漠然とした不安、それはある。
まあ、それがない人など、ただの阿呆なのだろう。
阿呆の方が寧ろこの世界は生きやすいのかも知れぬ。
それについても仏陀は、善因善果、悪因悪果を説かれている。善い結果が欲しければ善い原因を作ることだ。結果というのは因縁果の道理で、原因と縁が絡み合って出来るので自分でコントロールできるのは原因だけ。
縁はどうにもならんところもあるが、どうにかできる部分もある。
縁はなるべく良縁を近付け悪縁を断ち切ることでいい方向に向かう事は出来るといったところだ。
生活の全てを仏教に立脚し、仏道修練に邁進せよ。
初稿190331
投稿220812
今日のひとこと
◆◆◆フッター(定型文)◆◆◆
出来事は全て完璧なタイミングで、完璧な形で起きる。人生にとって必ず何かの意味がある。
私は、楽しいことしかしない。楽しいことにみんなを巻き込み、みんなと一緒に人生を楽しむ。
私は全ての人を潜在的顧客として丁重に扱う。いつの日か、私のブルーベリー農園に訪れてくれる大切な顧客になるかも知れないのだから。
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