時代劇や映画のワンシーンで、切腹というのがある。
私のような小心者からすると、よくそんなことができるよな、と感心しきりである。切腹に対して感心しきりという言葉選びが不適切ならば、畏怖の念にかられる、とでも言い換えようか。とにかく、マジな意味で死ぬ覚悟がなければできない荒技である。
清水の舞台から飛び降りる
これも古来から伝わる慣用句である。
要するに死んだ気になってやれば何でもできる、という風に理解している。
そりゃあ、誰だって清水寺の舞台なんて高い所から飛び降りたら死ぬか重症かいずれにしてもただでは済むはずがない。
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清水寺の舞台。これは死ねる。
まあ考えてみれば、人間死んだらそれ以降はこの自分という人間の頭で考えたどんなやりたいことももはやできなくなる。
死んだらそこで試合終了である。
ここ一番というところでどうしても勇気が出ないとき、この人生究極の「死」と比べることで、死ぬことと比べたら超簡単じゃね?切腹と比べたらバリラクじゃね?清水の舞台から飛び降りるのに比べたら朝飯前じゃね?などと考えてみる。
死ぬこと以外はかすり傷
そうそう、こんな言葉もある。言い得て妙だとは思わないか。これまでの私の言いたいことを一言で要約するとこの言葉に尽きる。
そう、死ぬことに比べたら、死なずに済むってことはかすり傷みたいなもんなんだから、あれこれ悩まずにさっさとやれ、という文脈で理解し、実践に生かしたい。
もちろん、死んでないからといって、植物状態になったりしたらダメだ。大ダメージ、重傷を負うというのもダメだ。そんな状態になってしまっては、夢の実現どころではなくなる。
背負いきれないほどの巨大なリスクは絶対に避けるべきだ。巨大なリスクとは、再起不能となること。
世に言う失敗は成功のもと、という話があるが、それも再起不能になるほどの失敗であってはならない。
最悪でも無一文でも何とかして生き延びることのできる方法を取ること。
何度でもチャレンジし続けられると言うことは、リスクを限定しているからこそ失敗もできるし、そこから何度でも這い上がれるのだ。
スノーボードのジャンプ競技で、技の練習をする度にいちいち死んでたり大怪我をしたりしていては、命がいくつあっても足りないのだ。
勇気を奮い立たせるとき、自分にこのように問うてみよう。
○○するか?それとも切腹するか?さあ、どっち?
211108
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