世の中では頭のいい人、政治家や学者や宗教家やスピリチュアルの先生やら、お偉いさん方がなんだか有難いお話、ご高説をさも物知り顔で説いておられる。
大体のお話は難解過ぎて眠くなる。
結局何が言いたいのだ。
いや、そんなお偉いさんが何を言わんとしているかなど、そもそもどうでもいいではないか。
最も気にするべきは、自分がどうなりたいか、である。
自分がどうにか変わりたいがために、自己研鑽と称してさまざまな知識とされるものを、この脳みそに詰め込んでいく。
その目的は何か?目指す所は何か?最終的にどうなっていたいのか?
究極、その目的を達成できさえすれば、それ以外のことはどうでもいいよそ事なのだ。
私はただ、穏やかに暮らしていければそれでいいと思っている。これが究極の目的だ。
この目的を達成するためには、何が必要なのかを紐解いていく。自分がどういった状態になっていれば良いのかを考える。
そして、それと関係ないことを出来るだけ排除する。そうしないと、どうでもいいことばかりに振り回されて、自分の本当の目的がいつまで経っても果たせないのである。
穏やかに暮らすためには、それ相応の経済的余裕が必要だ。
その経済的余裕を維持するためには、あまり金のかかる趣味ばかりしていてはいけない。
そうなると、自分にとって不必要なものを削ぎ落とす、断捨離という考え方は有効だろう。
自分の心地よい生き方を選択的に取得していくためには、心理的なブレーキを外す作業が必要だ。だから私は心理学を用いた自己啓発に時間と資金を注ぎ込んでいる。
また、私が最も尊敬し、信頼する人物は仏陀である。その教えを正しく身につければ、おそらく大きな過ちというものは回避できるだろうと思う。
それもまた、私が穏やかに暮らす上で必要であるから、私は仏教を学び続けている。
また、穏やかな生活には健康な肉体が必要不可欠である。
だから肉体を健康に保つために必要と思われる知識を学んでいく。
このように、日々私が時間を費やす対象を、その目的が「穏やかに生活していくため」という目的を達成するために必要かどうか?をその都度検討し続けていけば、無駄な遠回りや時間のロスをできる限り避け、より早く目的を達成するために時間を使うことができると思うのだ。
何につけても、自分の目的と合致するか?を常々確認してみるという姿勢は重要であろう。
初稿221117
投稿221118
今日のひとこと
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