妬みは自分のやりたいことの裏返し、と聞いた。
自分が妬むことを見つめ直してみると、おのずと自分が本当にやりたいことが見つかる、というのだ。
はて、俺は一体、何に嫉妬しているのだろうか?
金持ちか?
まあ憧れはあるが、嫉妬しているというほどではないかな。むしろ金持ちであるが故の責任や多くの人から妬まれる点において、あわれな存在であるという見方のほうが強くなってしまう。
だから超大金持ちになりたいかといえば、そこまででもない。
別に金持ちになってやりたいことなんて、仕事もせずに毎日動画見てぐうたら過ごすということくらいで、そんな生活はすでに無職の俺にもできているからな。
美人妻がある人か。まあ確かに羨ましくはあるが、妬むほどのものなのかな。いくら美人でも、いずれ年老いる。金もかかるだろうし、色々と気苦労も多そうだ。
むしろ独身であるほうが呑気で気楽に過ごせるではないか。
美食家か。まあ確かに手も出そうにない高級料理も食ってみたいとは思うがそれもどうかな。金があれば美食もできるわけだから、金持ちになって何がしたいかという問いに対する応答みたいなもんだね。
ただ、いくら金持ちだからといって度を越して食いまくることはできないし、そんなことをしていては今度は健康面での問題が出てくる。
金にあかして美食三昧の限りを尽くしたとしても、その興味はやがて薄れて行くのだろう。
むしろ食に金をかけるのであれば健康的な食事にこそ金をかけるべきであり、健康的な食事にはさほどの大金はかからないのである。だから別にそこまでの金持ちじゃなくても十分健康的な食生活は送れるということである。
ま要するに嫉妬を抱くということは欲望を抱くというのと同義に近いのだろう。
ただ、嫉妬という言葉の含むニュアンスには、自分が抱いている欲望をひと足先に実現している人に対して良くない感情を付加して悔しがる、あわよくば引き摺り下ろしてその人が不幸に転落することを願う、といったようなダークな一面が垣間見えるのだ。
よくよく考えてみると、いいことばっかりの立場の人など、この世に一人もいないのだ。みんなそれぞれ人には言えない苦悩を密かに隠し持っているものだ。表に出てくるのはその人が世に出してもいいと認めたものだけ。いわばいい顔の側面しか世には出てこないのだ。その顔だけではなく、必ずその奥に潜むその人にしか知り得ない懊悩があるのだと知ると、余計な嫉妬をしなくなる。
私ほど達観した人間にとっては、なかなか本当にやりたいことというのは見つけ難いものなのかも知れぬ。
初稿230204
投稿230206
今日のひとこと
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