父は溜め込み症の重症患者だ。
古くはドラゴンボールのテレビ番組をVHSテープに毎週撮り溜めていた。
確かに一見、録画しておけば後でいつでも見直すことができる。一種の安心感がある。
しかしご存じドラゴンボールはものすごい長期連載。テープは瞬く間に増加していった。
子供ながらに、「それいつ見るの?」と思って陰ながら嘲笑していた。
それだけに止まらない。我が家には書庫なるものがあり、そこには父が今まで買い求めたであろう物凄い数の蔵書、雑誌が大量に溜め込まれている。
まだ本棚に収まっている分にはいいが、当然それではスペースが足りず、床に積み上がる始末。
したがって足の踏み場もなく、書庫の奥に行くには本の山を跨いで行かねばならない。
できればこの世を去るまでに悟りを開いて何もかもブチ捨ててミニマリストになってからあの世に逝ってもらいたいものだ。肉親としての一縷の望みである。
ただただ溜め込むのが生き甲斐なのだ。そして二度と見返すこともないまま死んでいくのだ。
まあ、三つ子の魂百までと言うように、なかなか人間変われるものではない。
オッケーオッケー、全てを溜め込んで謎の満足感に浸りつつあの世へ逝ってくれ。
その後は私が責任を持って全部ブチ捨てて綺麗さっぱりにしてやるよ。
というわけで、自分だけは死んだ後も片付けが多少はラクになるように、今のうちから身の回り品を極力減らしていこうと思う。
早い話がミニマリストを目指そうというのだ。
ミニマリストというのは単純に持ち物を全部ブチ捨てて殺風景な部屋で一人飄々としている変態さん・・・もとい仙人ではない。
どうやら巷ではそうした極端とも言える変態ミニマリストの方が絵になるということでテレビなどでもたまに見かけるが、我々が実践するのはミニマリズム精神である。
その本質とするところはただただいる物もいらない物も構わずブチ捨てて方丈の庵で鴨長明のように暮らすことではない。
自分が今、大事にしていることだけに絞って、それ以外をきっぱりと手放すことだ。
これはすなわち、自分の「今の」人生を充実させるということだ。
過去の人生を充実させるのと、今の人生を充実させるのと、どちらが幸せだと思うだろうか。
あれもこれもと追いかけていてはどれも中途半端になってしまうだろう。
いわゆる世間の常識というやつに踊らされて、果たして自分の人生が充実していると言えるだろうか?
211216
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