そう、今私はカフェで一人読書している。
目の前にあるのはiPadとメモ帳とペン、そして1杯の抹茶ラテだ。
それにネット接続環境があれば快適にいつまでも読書が楽しめる。
何なら思いついたことをこのようにつらつらとiPadに綴ってブログ記事にすることだってできる。
まあ、同じことが家でもできると言えばできる。
しかし、決定的にカフェと家が違うのは周囲の人の目があることだ。
別に他人の目を気にしているわけではないが、他人と一緒にいるカフェで居眠りやだらしない格好をするのはみっともない。
家では全てが自由である。それは良くもあり悪くもある。
ついつい誘惑に駆られて寝たり、果てしなくつまみ食いしたりするのも自由である。
それに引っ越ししたてでもない限り、自室というのはあまりにも慣れ過ぎていて落ち着く反面、ダラケがちである。
あまり慣れないカフェにでも行ってみると、それだけで少しばかりの緊張感も手伝って集中して読書、執筆に勤しむことができる。
まあもちろんカフェであるからつまみ食いもできなくはないが、何を食べるにしても出費が必要であり、自宅で買い置きのものを食うのと比べれば自制心が働く。
私はいい方向にこの他人と共有する空間を利用している。
確かに、いい格好をしたいという欲求はことを成すにあたってある程度は重要なのではないかと思う。
心理学的には、承認欲求というやつだろうか。
私が仕事をしようというのも稼ぎたいというのもその原動力の大元を辿れば、若い女の子と関わりたいという下世話な目的のものだ。
心理学的には、生存欲求だな。
あまり表立っていうことではないが異性の存在というのは大きな動機であることは疑う余地がない。
無人島に一人でいたところで、色々頑張ってみてもしようがないではないか。
まあそうは言っても、ビジネスはいかに人に幸せを提供するかだ。「人生は喜ばせ合戦」そう言っていた中田敦彦さんの動画を思い出す。
とりとめもない文になったが結論、求められているのは落ち着ける環境ではないか。
場所貸しビジネスはとにかく心地よい環境を提供する。
それだけで価値となるのが今の時代だ。
モノそのもの、カフェで販売している飲食物そのものの価値だけで人が来るのではない。
そのモノをどのように利用して自分の人生を充実させるかということの方が重要なのだ。
でかい建物はもういらない。これは私の信条だ。
シンプルな居住空間で十分だ。
その方がスマートじゃないか。
無駄を削ぎ落とそう。
ミニマリストをみんなで目指そう。
そう、ミニマリストはただただモノを捨てまくってがらんどうの部屋に一人ぽつんとマックを広げている変態さんのことではない。
自分が本当に好きなことに選択と集中ができるスマートな人のことだ。
つまり、ファンを獲得できれば、そこにビジネスチャンスがある。
そしてそれが社会に広まっていくと私たちの社会は過去の大量生産大量消費の古い体質という殻を脱ぎ捨てる。
そして、一人一人にパーソナライズしたスペシャルな価値を提供する新しい時代を紡いでいく。
初稿211211
投稿211220
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