昨夜、中海のいつものポイントにカニカゴを仕掛けて来たのだ。
一晩仕掛けておけば、さぞかし30匹ほどでもカニがザクザク入っているだろう、というスケベ心を出しつつ早朝、カゴをあらためてみると、エビ数匹とカニ1匹。しかもその唯一のカニすらも、エサにするには小さ過ぎるおチビちゃん。
こんな残念な状況ではわざわざ淀江海岸まで遠征する甲斐がないというものだ。
しかしガッツリ釣りの準備してきた手前、どうにか釣りはしたいなとも。
しかしこの場ではあまりチヌが釣れる気がしない。
そこで、少々北上して渡港にやってきた。始めて来る釣り場である。
岸壁からテトラ下のゴロタ石海岸に出られる。釣り場としては悪くない。
ゴロタ石海岸を歩いていると、手頃な薪になりそうな流木が落ちているので拾えるだけ拾った。素晴らしい収穫だ。
少し歩いて水門を見つけ、そこから投げ竿を構える。エサは最も生きのいいカニ。もう1匹のカニは残念ながら他界してしまった。
何度か投げ直すが齧られもせず、そのうちぐったりとしたので捨てて、死んだカニと取り替える。それもやがて分解してフンドシ(カニの腹部の殻)だけとなる。
次に死んだエビをバカでかい丸セイゴ16号のハリに刺す。エビだとセイゴなど他の魚が釣れる可能性も高まる。
釣りをしながら思う。
人はなぜ、釣りをするのだろう。
遠くで海鳥が、海面から勢いよく潜っていく。魚でもとっているのか。
思えば人間というものは、基本的には猟をして食べ物を得る労働から解放された。
猟などしなくても、店に行けば食べ物は買える。
アマゾンでもポチれば、宅配便で送ってくる。
ただ、全く何もしなくて良いかというと、そうでもない。
人間は、社会を形作り、貨幣経済を敷くことで、日々の食糧を得る必要がなくなった。
そりゃ、職業漁師とか、猟師はいるだろう。だが往々にして彼らは、純粋にそれを食べるためだけに行なっているのではなく、金銭を得るために行なっているのである。
つまり、人間は原始的な食料確保のための労働からは解放されたが、社会構造の変化によって生み出された、新たな仕事に従事するようになったのである。
今後もそうなのであろうか。
AI技術が進歩したところで、今の仕事はなくなるが、本当に人間が労働というものから解放される時代が来るのだろうか。
また何か新しい、よくわからない仕事が生み出されて、それに従事しなくてはならなくなるのではなかろうか。
いや、今回の革命は、ただ単に人間の手足の延長を強化するのにとどまる話ではない。
脳の機能という、人間存在の最も根源的な働きを、機械が代替することになるのだ。
そうなってしまえば、いよいよ人間は無用の長物と成り果てる。人間に任せておくより、機会に任せた方が、よほど緻密で、正確で、合理的で、パワフルで、迅速かつクリエイティブだ。
おおよそ、凡人などの敵うところではない。
今度こそ、人間はその命を長らえさせるためのありとあらゆる労働から解放されて、真にやりたいことだけをやって生きていける時代が訪れるのではないだろうか。
そうなった時、人間は、本来の意味で、また釣りを始めるのであろう。
食料を得るためではなく、純粋に遊びとして、娯楽の一環として、ただただ釣りを楽しむ。
何だ、もう俺は、そんな釣りをやってるじゃないか。
初稿221103
投稿221103
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