決定論。すなわち過去も未来も全て決まっていて、人生なるものは自分の意思で選択して切り開いてきたかのように思い込んでいるところ、その実はすでに決定されたシナリオどおりに動いているに過ぎず、従って自由意志なるものは存在しない、全ての人間は神の操り人形である、というのが決定論の概要である。
しかし、決定論はない。これが、本稿の導き出した結論である。
決定論はない、すなわち、自由意志はあるということだ。自由の勝利である。
それを検証するために、まずは逆説的に、決定論がもしもあるとするならば、という仮定をおいて思考実験をしてみよう。
決定論があるとするならば、それをいずれ誰かが知ることができるはずだ。
ありもしないものならば、絶対に知ることはできないはずだからだ。
決定論を、誰かが知ったとする。その人には、未来のあらゆる事柄が分かる。
その人が、もし決定論にない行動を取ったら?それは決定論の破綻である。
これは、誰が決定論を知ったとしても同様の結論に至る。
つまり、決定論を知った時点で、それは決定論でなくなるのだ。
ゆえに、決定論があると仮定するならば、それは誰にも知られてはならない。
言い換えれば、未来の出来事を知った上で行動できる人間は存在し得ないということだ。
タイムパラドックスという話があるのをご存知だろうか。タイムリープ物のSFなどでよく目にする矛盾点を突いたものである。
未来を知っている者、あるいは未来から来た人が、過去に影響を及ぼした結果、自分自身の存在原因を消滅させてしまった場合、その存在は消滅するのか?
もし消滅するのであれば、その消滅した原因を作り出したのは一体何者何か?
そうした矛盾が生じるというパラドックスである。
一般的に、矛盾が生じると説明される現象は否定されるものだ。
厳密に言えば、あらゆる意思を持つ者は、決定論を知ることができない。
そう、決定論が、仮にあったとしても、それを知り得ないということだ。
誰も知り得ないからこそ、決定論は存在し得るのだ。
しかし果たして、誰も知り得ない宝が存在するからといって、その宝が本当に存在すると言えるのだろうか?
( ´_ゝ`)なんちゃら埋蔵金みたいなものである。
(^^)/あるある詐欺だな!
誰も知り得ず、今後とも誰にも知る由がないとなれば、それはたとえ存在していたとしても存在しないのと同義である。
よって、決定論が存在しないことを証明することはできないものの、決定論が存在するとしてもそれを知覚する術がないという点において、その存在はないものとみなせる、というわけだ。
厳密に、不存在証明ということとなると、それは悪魔の証明ということになり、証明不可能となってしまうものである。
ならば、誰も知り得ない、という点をもってして、決定論は存在しない、存在し得ない、と結論することができるであろう。
(^^)/結局、理屈をあれこれこねくり回しただけで終わったな。
( ´_ゝ`)まあ、ヤマモッさんはそんなもんだ。
初稿210703
投稿230129
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